思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

クルーの手記

「アニメの見過ぎだよ」

 

もう半分は遠くのビルに隠れてしまった夕日が、僕らのことを照らしていた。

僕が左腕を伸ばすと、僕めがけて飛んできた小さな影が左手のひらに吸い込まれていく。パンッと乾いた破裂音。左手にはボールが収まっていた。

2月の寒風に晒され、しもやけで赤くなってしまった右手で、ボールの表面の小さな傷をなぞった。

「どうしても消えないんだ」

右手でボールを掴むと、それを空に拾ってもらえるように力強く放り投げる。どうでもいいところをスナップして投げた球は、律儀にも空気力学に従いながら向こうの影へと逃げ込んだ。

「そろそろ大人になれよな」

「おれら考えないといけないだろ、ショーライのこと」

人間が奔放で生きられないように出来てる。無知というのは、それだけで自分という器を満たした。各々の知というのは例えばそれが褒められるべき(何に?)行為であり、学問であり、礼儀作法であり、すなわちある種指向性を持った概念である。一度マナーを知ってしまったら、僕らはそれを守り続けるだろう。一度足し算のルールを教えられたら、それを人は破れない。

知というのは負債であり、人々は単に知るという動作に喜びを感じる。無知を既知に変えるその動きが重要なのであって、その後に残る既知というのはめっぽう人間に良い影響を与えない。社会の規範というのはそういった既知で作り込まれた造形であって、人々を鎖で繋ぎ止める牢獄である。

知に価値なんてない。人間が人間でいるためにはそんなことが大事じゃなかった。だって知は人を豊かにしない。僕らの幸せの量というのは100年前と比べて増えただろうか?そんなことないだろう。今でも人々はそれぞれの暮らしの中で幸せを感じてる。生活レベルは100年前より大きく向上しただろう。でも幸せは増えてない。犬が人間より不幸せに見えるだろうか?頭のレベルの問題?じゃあチンパンジーは?そんなものないよ。文明の発達で幸せなんか増えやしない。なんて無駄なことを頑張っているんだ。野を駆け、獣を狩り、森で暮らすのでよかったじゃないか。文明が進むとどうなる?求められる知のレベルだけが上がる…

人々は自由を殺して知という負債を作ってるに過ぎない。昔は大学まで通わなくてよかった。

 

どうにも、動物としてのありようは大きく歪んでしまっているようにみえる。