れんぞくぎり
大学の友人と久々に会ってきた。
昼から横浜駅で待ち合わせをし、中華を食べた。その後何故か横浜中華街へ向かい街を散策した。
赤レンガ倉庫の前でアイススケートのリンクがあったので3人ですることにした。私は人生で一度もスケートをしたことはない。レンタルした靴を履いてる途中、隣で初対面であろう高校生くらいの4人組が「お前だれ?」「こいつウンコマンです」「うんこマン?確かにそんな顔してるもんな」「お前上手いの?勝負しろよ」「勘弁してください」「他にできるやついないの?」などと話していた。アイススケートにもストリートがあるんだろうか。勝手にフィギュアスケートのように紳士淑女のスポーツと思い込んでいた。
最初はよちよち歩きだったが、なんとなく周りの人を見て真似しながら滑っていたら何となく上達していき、最終的にはスケートリンクを休みなしで一周できるくらいにはなっていた。一番のコツは子供に近づかないことだった。やつらはミサイルのように突っ込んできてすぐに倒れる。
その後夕方に解散した。
俺は家に帰って買い物を済ませ、靴を洗った。靴を洗ったのは小学生のとき、上履きを洗った以来だった。あの時は本当に苦痛だったが、今は自分のお気に入りの方が綺麗になって楽しい。
その後、銭湯に行き、マックを買い、友達におすすめされていた、水曜日のダウンタウンの名探偵津田3話を見た。
すごい、めちゃくちゃ行動してる。
意識すること
毎日継続してやりたいことをカレンダーに着け始めた。
達成した日だけ〇をつける。それだけなのに、いままでよりぐんとできるようになった。
前まではやりたいと思っていても行動できずズルズルと引き延ばしていたのに、ちょっと記録をつけ始めたとたんにこれだ。
頭でどれだけ固く決意しようと困難なのにちょっとした習慣づけで解決できてしまう。思考というのは自由で物理世界と切り離されているように勘違いしてしまいがちだが、自分が思っているよりもずっと世界に引きずられている。鮮烈な経験とか、脳を焼くような強い感情でなくとも、精神は簡単に変容するのだろうな。
日記
Twitterで見かけて、先日俺も『桜井政博の「いますぐやれ」』の画像をデスクトップにした。
実のところ、俺は桜井さんをよく知らない。もちろん実績は知っていて、ゲームを遊んだこともあるのだが、本人を見た回数が少ない。ちょっと遠いところのすごい人という感じだ。
そんなレジェンドが既に知れ渡った真理について言及してていいなとおもった。何をいうかじゃ無く誰が言うかだってこういうことなのね。
この画像の効果は実のところ結構あると思っている。これやらなきゃいけないな、と頭に浮かぶが、あとでいいかと後回しにしそうになった時、画面の桜井さんが、今すぐやれと言ってくれる。おかげでAmazonで届いた荷物の段ボールの処理とか、段ボールの処理とかが捗っている。
桜井さんが言いたいのはそういうことじゃない気もするが、部屋が綺麗になって俺的には助かっている。
ーーーーー
土曜に新宿に行ってダウンジャケットを買ってきた。
半分くらい買うつもりで、半分くらいはそんなもんいらないだろ、と言う気持ちで新宿に向かった。東京の冬は暖かい。通勤用にユニクロのウルトラライトダウンもある。寒さに晒されるのはキャンプくらいだが、汚れるので高いダウンは着たくない。だからダウンなんてあんまり使い道なさそう。だが、他にやることが無かったのもあり足は新宿へ向かってしまった。
新宿で服を買うのは初めてだったが、さながらダンジョンだった。駅が入り組んでるのは有名だが、俺からしたら街も入り組んでるように見える。どの店に入ったら良いか何も分からないので、完全に手当たり次第だった。アウトレットやショッピングモールなら端から全ての店をチェックしていけばいいが、新宿という街はそうはいかない。服の売っていそうな店にフラフラと入ってレディースしかないやんけとなるのを何回か繰り返した。渋谷にも同じことを思うが、若者たちはどうやってこの街を使いこなしているんだろう。なんだかんだで良さげなダウンが見つかってしまい、買っちゃった。44000円。別に日常ですが?みたいな顔で決済していたが、普通に今まで買った私服の中で一番高い。高すぎだろ。後から思ったが、長く着れるかどうかは服としての質以上に流行りや着る人の属性に左右されないかの方が重要なんじゃないか。この服を5年着続けたら俺も30を超えてることになる。30超えてこの服は大丈夫ですか?という観点は無かった。今はちょっとダサく見えても、無難なものを買うということの良さだ。俺のは、おそらくちょっととがっている。
ーーーーー
日曜は髪を切りに行った。
昨日買ったダウンを着てルンルンで歩いた。サイコー。いい服を買う利点はここにある。
スマホを忘れたので久々に切符を買って電車に乗った。イヤホンでYouTubeも聴けない。
デジタル端末の無い外出は新鮮だった。街の全てが少しだけ違って見える。
友達におすすめされたカツ屋さんに行きたかったが、スマホがなくて場所がわからなかったので断念した。代わりに道中の天ぷら屋さんで天ぷらを食べたが、ダウンが汚れるのを過剰に気にしてしまった。サイアク。いい服を着る欠点はここにある。
ーーーーー
今日はずっと気持ち悪いな、と思いながら過ごしていたが、水分をコーヒーでしか摂取していなかったことに寝る前になってようやく気づいた。これや。
たまにやるのにいつも気づけない。なんでだ。
ダメ~
今日、トムブラウンの布川ひろきが、M-1決勝進出コンビのインタビューで、「みちおが今日かかっててうざいんですよ」と言っていた。「かかる」、いい表現だと思った。
もちろん、競争馬が騎手の意思に反して全力で走ってしまうことを表す競馬用語の「かかる」を引用しているのだと思う。
まさしく、今日の俺は「かかって」いた。
インターンシップで学生が弊社に来ており、私が若手社員として座談会を担当した。俺は緊張状態にあるとすぐに「かかって」しまう。こうなると、俺は当社比で80%の正確性と140%のスピードを手にする。しかし、発表の場で早くしゃべることに何のメリットもないので、早口で不正確なことを言っている変な人に成り下がるだけだ。とてもつらい。
そしてもっとつらいのが、この圧倒的スピードをもってすれば、口は急には止まれないということだ。しゃべっているときに論理の展開や文法がおかしくなることがままある。これは他の人にも見受けられる。ここで冷静であれば言い直したり、止まったりすることができるのだが、かかっている俺にはそれができない。なんとか持ち直そうとして、補足を繰り返して、最終的に目も当てられないほど破綻してしまうのだ。
走っているときに躓いても、よろけながら走って最後には全力でずっこけてしまう。
どうか、あなたの持っているその槍で僕の胸を貫いてください。
納税、のち、ヘラクレスメを読んだ。
納税、のち、ヘラクレスメを読んだ。
恐山の日記を読むたびに、日記でこのクオリティを出力できている日常への感度と、平易な語彙だけで人を引き付ける文章力にびっくりさせられる。
同じ東京に住んでいるはずなのに、俺の世界と違い過ぎる。
原因を考えて、一人で行動することへの心理的障壁が違うのかも、と思ってみた。俺はたまたま見つけた銭湯に入ることも、見つけた店に一人で入ることもしない。正確には、昔はしていたのだが、最近はめっきりなくなってしまった。
東京の悪い空気にあてられたのかもしれない。昔は一人でファミレスに入るなどわけもなかったが、東京にはとにかく人が多く、それはつまり人が多いということを表している。カップルや親子や友達同士みたいな他人のコミュニティがひっきりなしに目に入ってきて、どうにも居心地が悪い。
一方で恐山はというと、周りのことなど考えていなさそうである。周りの目なんていうことばから最も縁遠い存在なんじゃないだろうか。(しかしこれを言うのは失礼すぎる。)
思えば、他人にどう思われるかを気にして取った行動は大抵ロクなことにならなかった。もっと傍若無人にふるまう必要があるのかも。こういう自身の行動規範に意識的にならないと、ズルズルとだらしない本来の自分に落ちて行ってダメになってしまう。
みなさん、東京で体験を享受するには、他人を考えないようにしましょう。それか、パートナーを作ることです。
2024/11/03
IQテストの結果説明を受けてきた。
受けたきっかけは、自分が発達障害かどうかを知りたかったから。大学のころから自分のことをうっすらADHDだと思っていたのだけど、特に実害がなかったので放置していた。その後会社に入ったら契約書の数字を間違えるといったケアレスミスが起きるようになって気も滅入ってしまったので受けてみることにした。
ADHDはおそらく統一された診断基準が簡単なものくらいしか決まっておらず、各院によって診断に必要な検査が異なるのが実情だと思う。私のところではIQテストは必須ではなかったが、自分から希望した。
他の検査/調査としてアンケートや学校の通信簿の所感欄を確認するといったものも受けたが、どちらも自分や医師の主観で判断されるものばかりで定量的ではないと感じたため、追加でIQテストを希望した。
受けたテストはWAIS IV(もしかしたら3かも)。おそらく医療機関で受けられるテストの中でもっとも有名で信頼性のあるものだ。検査時間は2時間だが、予約~受験~結果通達までで約三か月ほどかかっており、自分でもよくやり遂げたなと思った。
テストの内容はネットで簡単に受けられるIQテストと似たような感じだった。専門の人が出題して、その場で答えるような1on1のテストだった。
結果は、全検査IQ123、言語性IQ119、動作性123。ADHD特有の、項目ごとに大きく点数が乖離するといった傾向も見られなかった。
自己理解では言語性が高めで動作性が低いのかと思っていた。言語性は発表がうまいと言われたり、賢そうといわれることがおおかったし、動作性でいうと実際に仕事したらダメダメだったり、単純に要領が悪かったり、ゲームが下手くそだったりするためだ。
自分はそのギャップで苦しんでいると思っていたが、ふたを開けたら動作性の方が高いという結果だった。そもそも、全体的に高い。調べてみたら上位6.5%らしい。自慢できるほどではないが、平均よりは有意に高いといったところか。マジで研究も仕事も何もできないので、どちらも100~80の間かと思っていたのでびっくりです。
特筆すべきところとして、知識がめちゃくちゃ低かった。中学で習うような一般常識を問われる問題だったけど、ほとんど答えられなかった。これはかなり自覚があって、自分の興味のないことはとことん覚えられなかった(授業に参加しなかった)ので、特に社会科目が壊滅的だったのだ。これは今でも挽回できていなく、多分俺は未だ47都道府県の位置と場所が一致していない。
他方で言語理解という項目がカンストの勢いで高かったが、どんな問題だったかを聞いてもよくわからなかった。ネットで調べたら「一般原則や社会的状況についての質問に答える」とでてきた。解いた覚えがあまりない。
ADHDではなさそうといった結果を通達されて、じゃあ自分がこんなに仕事できないのはなんでなんだろうと考えている。IQがその理解の助けになるかなと思ったが、どうも結果がしっくりこなかった。
そもそも冷静に考えたら、このテストは全然仕事や研究の不出来に直結しないなと思った。そういった場で必要な能力が測られていない。例えば仕事では「4つ検討項目があるけど支配的なのは1と2だから3と4は保守的な概算値で考えれば時短だよね」とか「ここでAさんまで展開し始めたら発散して仕事まとまらなくなるよね」みたいな判断を何度も迫られることになる。これらは大雑把に問題の概要を把握する能力だったり、問題のパラメータを見極めて最適化する能力だったりするわけだけど、そういうのは当然ながら入っていないわけだ。あくまでその場の記憶力とか計算力とかそういうものが測られていたので、面接での予期しない質問とかには使えるかもしれないけど、それだけかなと思う。勉強の効率には影響してきそうな気もするけど、受験に直接的に関係してるかというとそれも怪しい気がする。
というわけで、測ってみたはいいが自分のことがもっとよくわからなくなってしまった。逆にIQが原因じゃないなら矯正可能なのだろうか。もちろんメモを取るとか仕事を書き出してブレイクダウンするとか外付け的なやり方で仕事を多少マシにすることはできるだろうけど、別にそんなことやらなくてもスムーズに仕事をできる人たちが周りにいる。思考のトレーニングみたいなことをすればそれもできるようになるのだろうか。
全然無理そうな気がするので、やっぱりよくわからない。
薬も一応処方できるということだったけど、やめてしまった。試してみるという手もあったかもしれないけど、最近の自分はなんでも薬に頼りすぎでよくないなと思ってしまう。鬱かも!と思ったときにうつ病の薬をもらったが大して効かなかったように、俺がADHDかも!と思って飲んだ薬は効かないような気がする。
うつのときは医者はうつじゃないといっていたのだけれど、それを押し切って薬をもらっていて、自分が不幸になりたいだけじゃないかという自己批判と嫌悪感にさいなまれたので、医者から勧められない限りは飲まない方がよさそうと思っています。今は。
今後気が変わったら飲んでみようかな。
会社に理解されてないと感じること
会社に勤めて仕事をしていて、若手の価値観について全く上司たちに理解されてないと感じることがある。
それは、何故若手が辞めてしまうのか?に対する答えの一つでもある気がする。
僕は97年生まれ院卒社会人3年目です。
自分で勉強し、自分だけのスキルを身につける。客と対話し、自分だけの凄い仕事をやる。その為には夜遅くまで取り組むし、すすんで自ら勉強するし、叱られてなんぼ。昔はこれがカッコよかったのかもしれない。
今は全く違う。
幼少期に接してきた文化が全くと言って良いほど違う。
僕らが幼少期に大々的に打ち出され脚光を浴びていたのはパソコン、音楽プレイヤー、スマートフォン、YouTube、カーナビ、自動運転etc…
とにかく電子でありシステムである。これらに共通しているのは「これひとつで全部できる」ということだ。洗練されていて無駄がなく、コモンであり、スタンダードなものこそ美しい。私たちの中にはそのような価値観が、それらと触れ合うことによって形成されている。と思う。
パソコン上では今や何でもできる。音楽プレイヤーは曲ごとにCDを変えなくても良い、スマートフォンは電話にメッセージにゲームまでできる。カーナビは地域ごとに地図なんて買わなくて良い。
昔の人なら「この街の道を全て暗記している」がカッコよかったかもしれないが、今は違う。「カーナビの使い方を知っている、もしくはカーナビと言うシステムを作れる」人がカッコいいのだ。何故なら街の道を暗記しても別の街へ行けばそれは1からやり直しだが、カーナビを使えればどこに行っても同じ手順で道がわかるからである。これが普遍であると言うことだ。カーナビの本質を勘違いしているおじさんが多いかもしれないので改めて言うと、カーナビの凄いところは「地図を買い直す手間が省けるところ」や「地図が読めなくても分かりやすいところ」では無い。「同じ手順でどこにでも辿り着ける」ことなのだ。
こういう美的感性を持っている人には、「勉強して自社の製品を知ってください。資料はありません。体で覚えてください」なんてものは通用するわけがない。全くもって美しく無いからである。
仕事をやるならマニュアルが完備されていたり、専用のツールが整っていることが前提になる。日々の仕事は同じ手順で出来ることが当たり前として育ったからである。
「若い人はドライ」、「飲み会が嫌い」と言われるが、これは違う。正確には「仕事という毎日行っている作業(標準化されているはずの作業)に人間関係という外乱が入っていること」が許せないのだ。だから同期とは飲み会するし、大学の先輩とだってする。でも仕事でしか付き合いの無い人はダメ。
これらは言い換えると、判断の外だし、機械にできることは機械にやらせる、みたいな思考だったりする。そしてこれに対する感度はおじさんよりも良いはず。身近な例だと、若者はエクセルに詳しいからエクセルが扱えるのではなくて、機械が何をできるかを大体分かってるからエクセルの扱いが上手いのだ。そうじゃなきゃ10年以上エクセル使ってるおじさんが若者に負ける理由がわからん。
他のソフトだってそうだし、ルールの運用に関しても似たことが言えると思う。
そうやって同じことを繰り返すのに頭を使うのは何も美しく無い。それを愚かと思い、辟易し、やめていく。
世の中では「タイパ」重視みたいに言われるけど、それも本質じゃ無い。だって誰だってタイパが良いのが良いにきまってる。若者はすぐに結果を求めるわけじゃ無い。別にじっくり何かを成したっていいよ。そこに無駄が含まれてなければね。
何故かこれが理解されてないように思う。待遇をよくするとか、大事だけどそれって本質じゃ無いんで…どんな時代も待遇良ければ人はくるんで、それは世代間の価値観の差ではないよ。