思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

声と手と

とっても丸いキャンバス地の白いボールがただ机にあるような完全さが欲しい。

 

社会不適合性が愛されるのも、その人の才覚の一つで、病み垢にフォロワーがつくのも、すべてすべてカリスマなんだろ。救ってあげたい形をしてるからみんなに憐れまれて、そっと見守られて、それはポルノ的な消費活動かもしれないけど、たしかに愛されてる。結局どこまでいっても人は才能に惹かれてるんだろうな。何もない人間は、その人が救いを求めていようがいなかろうが、誰も目を向けない。その人が死にそうかどうかなんて本当はみんなどうでもよくて、その人から流れてる血の色が美しかったら評価するし、そうじゃなかったら見捨てるだけだ。

そういう意味で、メンヘラがコンテンツ化しているということから見ても、庇護性の違いから見ても、ジェンダーから見ても、男の社会不適合性は愛されない。男の血が緑色だからですね。知ってましたか?

 

揺らいだ白いカーテンから覗く低い街並みと生温い風にはいつになったらたどり着けるんだろう