思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

タヨリ

少し前、「夜巡る、僕らの迷子教室」をプレイした。OPを見て感じた、後には引けない空気感がとてつもなく好きだからだ。しかし実際の内容はというと、自身の求めていたものとは違ったものだった。細かな内容は今回の趣旨と違うので特段触れたりはしないが、不幸の深掘りに対して解決策が乱雑すぎるように感じた。自分は他の人に比べて、社会の落伍者を多く見てきたつもりだ。ニートや中卒など、形は様々であれど、社会の枠組みに適応できなかった人々の吹き溜りに片足を突っ込んでいるからだ。私は、彼らは彼ら自身に問題があると感じている。だから流されるまま、解決に向かわないまま、滞留したよどみに行き着いてしまう。なので私は、物語に対してこんなに簡単に自身で解決できるのであれば、ここまで問題が深刻化しているはずがない…と感じてしまった。

私はこのゲームを友人とプレイしていた。友人はまさに私の所属しているコミュニティーの精神性で中核に位置する人間だ。友人もこの話に物足りなさを感じていたのだろう。

「このゲームは浅い。ここはもう俺が通った道なんだよな。」

彼の一言で私は様々なものが腑に落ちた。私たちが作品に求めるのは未知の価値観であって、自らの思考の焼き増しでは無い。吹き溜りに集まった人々に多く接していた自分にとって、このゲームは自身の過去の思考を辿っているだけなのだ。だから、つまらない。もちろん、私の感想がこのゲームの普遍的価値について言及したもので無いことは注記しておかねばならない。

世間では「ぬきたし」が高い評価を受けている。あの作品はセクシャルマイノリティに言及したシナリオがあるらしい。だから、あのゲームに手が出ないんだろうな。既知への退屈を恐れているんだろう。今まで歩いてきた人生で深く触れた価値観が、世間に流通している物語のメッセージ性を超える。これは自身の中で大きな事件だった。親や先生が普通の人間なんだと知った時のような、そんな裏切りを思い出した。

 

 

就活をし始めなければいけない時期だ。この前のインターンはひどい有様だった。ここのところ睡眠が不規則で寝ずに挑んだからかどうか、言葉が出てこなかった。発表の場で言葉がうまくまとまらないのだ。最悪だ。自分の能力のなさが他者の前で堂々と晒される。もうどうしようもない。あの日のことを思い出すと苦しくなる。もっと上手くできたはずだ。もっと上手く発表出来たはずなんだよな。周りは本当にすごいと思った。頭がいいってこういうことを言うのかもしれない。次はもっと上手くしたいが、こればっかりは鍛えてどうにかなるものじゃないんじゃないか?すると俺は人間の本質的なところで劣っていることになるけれど…