思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

黒歴史

今日は思い出したので小学校であった黒歴史を書きたいと思う。

 

自称ADHDの僕はかなりキツいことをやらかしていたな、と思う。今では昔の事過ぎて殆どどうでもいい事ばかりだが、例えばこれが昨日のことなら首を吊って死んでるだろみたいなのが多い。

 

小学1年生の授業参観の日、音楽の授業。当時かなり背の小さかった僕はピアニカの鍵盤に満足に手が届かずに演奏できなかったことが悔しくて泣いてしまった記憶がある。この頃は勉強において出来ないことはなく(小学1年なので当たり前だが)、他人より何でもできると思い込んでいたから、自分の全く出来ないことが嫌いだった。同じ理由でリコーダーも嫌いだった。

 

小学2年生のとき、側転ができるという理由で学芸会の主人公(西遊記孫悟空)役に抜擢された僕は、当日もかなりウキウキだった。衣装の緊箍児(きんこじ、孫悟空の頭につけてる輪っか)にかなり思い入れがあり、学芸会が終わった後もつけて妄想の世界に入っていた。だが、何かの拍子に折り目がつき(厚紙でできていた)、泣き喚き怒り狂った僕は雨の日にその緊箍児を庭へ放り投げてしまった。母親が拾ってきてくれたが、聞く耳持たずでいらないの一点張り。この時点でかなり異常だと思うし、頭の病気とかに詳しい人だったらもっと別の措置をしてくれたのかもしれないが、僕の親は特になにもなく、僕くんは完璧主義だねとだけ。

 

小学3年は学級代表に立候補したけど、持ち前の集中できなさを発動して全く学級代表会議(各クラスの学級代表と学年主任とで行う)の内容を聞いてなかった。そのためその日の学年集会で話す内容をなにも考えてなかったり、次の会議までにアイデア出しをしろと言われたのになにもしなかったりで先生に怒られたりと、まともに務まらなかった。

 

小学4年は記憶がないので一個飛んで小5。目立ちたがりのため、懲りずに林間学校の実行委員に立候補。林間学校の閉会式で国歌のCDを忘れる。無音で国旗降納を行うことに。

この頃あたりに授業中に消しゴム飛ばしをしていたら先生に見つかり廊下で立たされる事件が発生。授業中に遊んでいたら怒られる(あまり意味が分かってない、授業内容は終わってた)が、取り敢えず謝っておけば許されることを機械的に学習した僕は、一緒に立たされた嫌がる友達を連れて無理矢理先生の元へ謝りに行くも、ヘラヘラした態度で謝って許されると思ってるのか?とクラス全員の前で一刀両断される。そもそも何が悪いのかすら分かっていなかったので、全く先生の言い分が理解できなかった思い出がある。

 

小学6年。今度は修学旅行のしおり制作委員に。この時は何もなく済んだ。よかった。

 

こうやって書いてると、自らの異常性が浮き立つとともに、先生や親なんかの周りのやつもヤバイってわかるだろ、病院に連れてけよという気持ちが高まってきた。

いやいや明らかにヤバイよ。前に俺はADHDのなりそこないとか書いたけど、明らかに典型的な症状じゃないの?振り返ってまとめてみると恐ろしいエピソードばっかりだな

小さい内に治療できていればどれほど楽だったか…社会不適合の人間なんて生まれなかったのに。こうやって他人のせいにできるのも病名がついたおかげなんですかね?