思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

いつか滲んで現れるから

自分の好みはまっすぐすぎるほどで世間一般のニーズと重なってるのが常だ。何も考えずとも好みのものが提供されるんだから困ることは無い。誰かに物を勧めるにも楽だ。異端ではないことが嬉しい。それ自身がステータスになる。好みを否定されることもなければ忌避されることもないし実に快適だ。だけど、ときたま誰の目にもつかないところに落ちているものに目を奪われることがある。もちろん比喩だ。どうしてもこれだけは誰にも教えたくないという信念を抱いてるものがある。いや違うかもしれない。教えたいけど、それは多くの目に触れられるべきではない気がする。それが制作者の意図と違っても、多くの目に触れられていないから美しいのだと感じる。だから、そっと手で覆うように、それは自分の中で守っていくものだと思う。だけど透明な身体で必死に隠そうとしてもそれでは隠せないから、自分に色を塗る。どうやって?ほかの物で代用するしかない。自分の好みが普通でよかった。簡単に色を塗れるから。

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何か勘違いをしていた気がする。初心に戻った。別にどうということではないけど他人に見せるためではないのだ。決して。それを忘れていた。何度繰り返した議論か。そもそもこういう形式がいけないのかもしれない。もっと純粋な、エッセンスの部分だけを抜き出しては溜めて、きっといつか腐って、それを飲み干すようなそんな自己循環的なものにすべきなのだ。本当は。

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何かを記すとき、毎回最後まで書いてしまう。自身が変わってしまった気がする。こうやって周りの集団の傾向に知らずのうちに依っていくのは怖い。いつかきっと元には戻れない。思いとどまるようにしなければ。いつからこうなのか。

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今日は勉強が捗らなかった。こういうのは良くない。余裕を持ってしまうとギリギリまで使い果たす癖は無くした方がいい。無心であることの方がこの社会では都合がいいのかもな。