思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

行動の効能

行動はすごい。とりあえず動いてみること。これの大切さを知った。

 

世の中生きていると、こんなことやってみたいなというアイデアが浮かぶ。もちろんそれはなんら素人の自分には知識がなく実現できない。俺はそこで妄想として終わっていた。そこから先へは踏み出さないでいたし、妄想で終わることになんの未練も疑問もなかった。

 

俺の周りになんでも動いてしまう人がいた。“行動の化身”だ。実現能力が非常に高い。そいつをみて、おれも負けてられないなと思った。昔からちょっと興味のあることをした。初期投資として安くない額を支払ったし、これ自体にはなんの生産性もないけれど、不思議と踏みとどまらなかった。今思えば、あのときのおれは明らかに衝動に駆られていた。

ネットで調べれば、本を買って読めばどんな分野でもそれなりに出来る。だって世の中のみんながやっているのだから、特別自分だけが出来ないわけがない。そういう考えのもとに行動した。

 

案の定、それは思ったよりすんなりと出来た。そしてその分野を勉強するうちに、周辺分野や勉強しなければ知らなかった技術の存在に興味が出てきた。Aが出来たのならBも出来るんじゃないか?以前の知識をベースにより広く、より高いところにいける。高いところに行けば、また様々なものが見えてくる。

それを繰り返すことで選択肢が広がっていくのだ。新しい知識を開拓する楽しさを知った。自分の思いついた妄想を具現化する能力を手に入れたと言っても過言ではない。生産性は必要なくて、やりたい事をやれるようにする。馬鹿みたいなことにこそ真面目になる。そのくらいの時期からおれのQOLは爆上がりした気がする。

 

一方“行動の化身”とは正反対に、何にも行動しない奴もまた、おれの周りにはいた。こいつは本当になにもしない。仕事もしてない。辛い言い方をするなら社会の落伍者だ。でもこいつも、別に何もしたくないわけでは無いらしい。ただ、自分の出来ることが分からないのだ。自分の出来ることをしたい。自分に向いているものをしたい。しかし何かに触れてみても、自分を納得させられずにすぐ辞めてしまう。自分の作るものが納得できないから、これは俺には向いてないんだと言って辞める。

こいつは行動の化身の真逆をいく、言うなれば生産性の鬼だ。生産性こそ全て。自分を納得させられなければゴミ。価値あるものを生み出さなければ無駄。成果物の価値しか見てない、生産性の鬼なのだ。

しかしその結果はどうだ?結局何も残せていない。何も作り出せていなければ、自身にスキルも残ってない。生産性を意識するあまり何も生産できていない。これでは本末転倒だ。

 

行動の伴わない成長は存在しない。純粋にやりたいことをやる。結果や意義は後付けで良いので、まず動いてみることが大事だ。たしかに衝動的に実行しただけでは完成度が低く“生産性の鬼”に馬鹿にされることがあるかも知れない。しかし一度作ってみれば改善点も見つかるし、スキルも身につく。次はもっといいものが作れる。そうしてトライアンドエラーを繰り返していくうちに完成度は上がっていくし、出来ることも増える。

“行動の化身”は絶対に突飛な案や自分の知らない技術を馬鹿にしない。未知こそ無限の可能性が眠っていることを知っているからだ。失敗したら軌道修正すれば良い。身に付けたスキルや経験は消えない。結果的には未知だけが消えたことになる。視野が広がり出来ることや見えることが増える。おれはこれが人間の成長の仕方だと思う。