思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

2018/9/6

思ったより夏休みは余裕が無く、気づけば折り返し地点を過ぎていた。インターンだとか研究室見学だとか、今まで目をそらし続けていた猶予期間の終わりが見え始めて、しかもただ見えるだけではなく、そこへ向かって動いていかなければならないので非常に憂鬱である。

大体このブログは夜型の自分が深夜に、やることもなくなって書き始めるのだが、生活リズムがきっちりしていたおかげで(せいで)更新は1か月ほど止まっていた。吐き出すことと蓄積することは同一ではなく、目的は前者であるため更新頻度やタイミングについては些細な問題だと思う。

最近久しぶりに絵を描いた。日常的に描こうとは思っているがやる気と時間とどうにも続かない。基本的に自分の絵は好き(でなければならない)ので、何度も見返しりするうちに目が慣れてしまってそれを普通と受け止めてしまいがちなのだが、非常に良くないことだと思う。過去の絵をみて上達を感じるのはあくまで結果の話であって、現在の自分が意識的に未来の実力との勾配を考えることはとても重要なことだろう。だから、目が慣れることによってそれが平滑化されるのが怖い。平滑化どころか、認識から上達という軸が外れているのかもしれない。そんなこんなで他人の絵と自分の絵を比較する機会もあったりするが、そうなるとまじまじと現実を突きつけられて、若干のブルーに陥るものの、これは良い。目指すものは隅々まで知るべきだし、そことの差は常に認識するべきである。ゴールや高低差が分かっていれば、勾配は認識しやすい。

思うに実存感が、説得力が、その空間に物が存在するという感覚が、大幅に足りない気がする。これは実力(描くという行為に付随する全ての要素の上達)が結果としてもたらしている物なのか、そういう一つの技法なのかが分からない。思い付いたのはより対象を立体的に把握する(人体構造を理解する)とか線を細く丁寧に描くとかそんなものだろうか。

がむしゃらに描く時期はもう終わったのかもしれない。あとは繊細な道が続いているだけだ。