思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

悪いこ

最近スマートウォッチ買った

健康志向のリストバンドみたいなやつ。ガーミンの18000円のやつです。

睡眠スコアを測ってくれるっていうので、これで睡眠改善のきっかけにできないかなと思って買ってみた。

結論から言うと結構便利。睡眠スコアはもとより、ランニングの記録、ストレスレベルのチェックなどもしてくれる。

あー便利だ〜肌身離さずつけることに意味があるので外したくなーーい

じゃあ、もっと高いの買えばよかったと思ってるよー

でもバッテリー持ちはコイツが1番なのでヨシ!

この夏は、まあ悪くなかったんじゃないかと思う。

島にも行けたし、汗もいっぱいかいた。何かと夏の成分を摂取できた。

 

こういうふうに、これからの人生は、平日のルーティンワークは記憶から除外されて、休日だけが思い出として残ってくんだと思うと悲しい。

 

無為に過ごしている日々に危機感を感じなくなっていくのも、あれほどまでに腹立たしかった手続きに無関心になっていくのも、全て途方のない大きな何かに飲み込まれてしまう予兆に他ならないと、強く思う。

 

いつも、何かから自分を守るために布団を被る。何かを忘れようと眠りにつく。

 

 

自分という人間を多く分断しすぎな気がしている。

ポエミーな自分はこのブログ、

絵を上げるときには絵を上げるようのアカウント、

Twitterの鍵垢、

現実の自分、

すべて別々で二つ以上をまたいで自分を知っている人間はいない。

なにか人生というものを、対外的な価値を見出そうとするあまり、自分を細分化してコンセプトとして売り出してーーー人間味がなくなってしまった。

 

普通の人間はこういうことをやってはいけない気がする。なにかで特筆すべき才能を持たない人間は、そのバランスで愛されるべきであって、天才のように一つを切り出しても見向きもされないだろう。

 

なのに諦められないのは、本当は自分に才能があるんじゃないかと錯覚してしまうこの幼児性と異常性のせいだろ。

 

 

ここから先には何もありません*1

 

 

 

 

*1:何もありません

ガムナ

ある学者がこんな説を世に出したことがある。

「◯量の多いものほど、能力の形質変化が少ない」

データに裏打ちされたものではなかったが、語られた理由には一定の合理性があった。

出力の余裕はやがて、対応できる状況の幅を増やす方へと生存の力学が働く。

より少ない手数で、どんな状況にでも対応できることが、強者の哲学となるのだ。

 

この世で最も◯量に長けている種族ー古龍ーその中でも飛び抜けた◯量を持つ彼女の能力は

 

より単純に、より原始へと回帰した結果、もはや能力とは呼べないものになっていた。

形質変化を一度も起こさずに体外へ放出するソレは

単なる力の奔流。圧倒的な物量による暴力。

 

 

口だけマン

俺の言葉はすべて自分の過ちから逃げるためにしか使われていない。

 

言葉を並び立てるのに本質的な意味はなくて、その表層がパズルのように組み合わさっているというだけで、中身事態には俺の逃げたいという気持ちしか入ってない

 

そういうことは多々ある。

語らなくても行動で示したい。自分が不利益を被ってでも、胸を張って生きていたいから。口先だけでなにかいうのをやめよう。

 

アパートの退去費用を踏み倒したことがある。

踏み倒したといっても、疑問点を何度か電話で聞いていたら向こうから連絡が来なくなったのだが。請求書は届いていたので、踏み倒したといえば踏み倒したのか。

その後に俺がその会社のブラックリストに載ったんじゃないかとか、迷惑をかけたんじゃないかとか、そういうことを数年越しにフラッシュバックして苦しくなる。

未来の自分を救う意味で、多少の不利益も受け止めながら生きていきたい。責任逃れも、口だけのでまかせもうやめよう。

今は俺の責任の実態以上に、弁論による回避判定が広すぎる。これのせいで、まかり通ってしまったが本当はダメだったんじゃないか、ということが多すぎる。

人生のほの暗い影を作りながら歩くのはやめだ。

 

すべて行動にしよう

本当にダメな奴が、少しでも前に進める唯一の手段のように感じるから。