思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

冷や水

自己保身のためにしか文章の紡げない私を許してください

 

気持ち悪いノリを叩く…という文化とこらしめについて、もっと適切な注意の仕方があるようにおもう。

 

他人より周りが見えにくいタイプなので、それでかなりのトラウマを負ってきた。

気づいたら周りから冷ややかな目で見られていたということは少なくない。

これは他人に迷惑をかけていいと思っているわけじゃなく、本当に周りが見えないだけなのだ。

 

以下自分語り

中学の体育祭でクラスの応援団の名前を決める会があった。何事にも本気で取り組むタチなので、真剣に名前を考えた。ありきたりではないが学校の伝統を踏襲しており、いい名前ができたとおもう。しかし僕の熱量に対して周りは冷め切っており、ろくな名前が出ない。グループで1つずつ名前を出し合う決まりだったが、並べられた候補を見て微妙だと思ったのか、学級委員の男の子に「何か他にない?」と振った。その子は少し考えて答えた。王牙。とてもありきたりな名前だった。そもそも、伝統だった3文字の縛りを引き継いでなかった。しかし投票によってこの名前が選ばれた。僕は納得がいかなかった。事前に提示されたルールを破り、新しい候補を入れたどころか、みんな消極的で角が立たないだろうという理由のみで当選したからだ。あれはおかしいんじゃないか?そうやって自分たちのグループに伝えた。しかし、おそらく声が大きかったのだと思う。学級委員長は「名前なんてどうでもいいだろ」と吐き捨てた。僕はこの時、自分の言葉が委員長に聞こえているとはつゆ知らず、委員長はやる気がないなあ、だったらあの場で答えなければよかったのにと呑気なことを考えていた。僕はその日、先生に呼び出された。「みんなの意見で決まったことなのにそれはよくない、クラスの雰囲気を壊すな、他の人が真剣に考えた名前なんだぞ」としっかり注意された。突然の事すぎて意味がわからなかった。僕の愚痴が何で先生の耳に届いているのかも、ルールを破った張本人である先生に説教される理由も、やる気のない委員長が振られてその場しのぎで出したものに真剣さがあるかどうかなんてことも、何もかもわからなかった。

なんていったって、正義の側は自分だとずっと思っていたからだ。こんなに熱量を持って、ルールに則って取り組んでいるのだから、MVPに違いない。感謝されるべき事だ。そういう自分の中の正義があって、それに善くあろうとして全力を賭した。

なのに、“空気を壊した”という理由で、僕は問題児の烙印を押され、先生から直々に怒られた。教室の対角にいた先生の耳に入っているのだから、クラスのみんなも聞こえただろうし、直接言われてないが思うところはあっただろう。

僕はこの冷や水を浴びせられるような感覚が心底嫌いだ。

僕は全力で頑張っていて、みんなから感謝の言葉をかけられると思っていたのに、お前それはやばいよと言われるのが本当にダメ。

特に事後に言われるのが本当に無理。

わかってるならその場で教えてくれ。

 

今ではその頻度もかなり少なくなった。

でもこれは熱中して周りが見えなくなるという構造そのものを変えられたわけで無く、脳にリセットトリガーがついており、定期的にハッと我に帰るようになった感覚に近い。後天的に身についた処世術みたいなもので、周りに気を張り続ける生きづらさが消えない。

 

さて、インターネットではかなりの確率でこういう身内ノリを見ることができる。それが炎上して、外部からあーだこーだ言われて謝罪などをするのもよくある話だ。

しかしこういうのは注意の仕方があると思うのだ。本人は熱狂の中にいて、善性に従っているのだからそれを急な罵倒で覚すのはよくない。ヒートショックで死んでしまう。

「みなさんが静かになるまでに○○秒かかりました」

これはガチで最悪だ。周りの見える健常者から先に冷笑側に回っていき、一番楽しくしてる奴が最後に1番痛い目を見るという社会不適合者決定戦の逆トーナメント。自分の話してた相手が微妙そうな顔をしていて、ハッとなり先生の方を見ると目が合う。いつの間にか周りもシンとしていて、俺のくだらない話をクラス中で聴いている。なんて地獄なのだろう。

別に教えてくれればいいじゃん。みんな授業中に喋って進行を邪魔したいなんて思っているわけ無くて、先生がまだ来てないから休み時間の会話が延長されているだけなのに。

 

そう言ったみんなの行動の根底にある善性を否定したくない。それがどんなに周りに迷惑を振り撒いていても、その人は良かれと思ってしているのだから、急に冷や水をぶっかけることはない。

 

 

 

こんな歳にもなって、

まじめに絵描いて

アニメやイラストのコンテンツ論を考えて

余りにも馬鹿になっちゃったな

絵描く人のコミュニティに参加した時も

みんな幼稚で馬鹿すぎて頭おかしくなりそうになっちゃったし

子供の頃で頭止まってるおじさんが一番怖いよ

そう言う世界で生きてきて、これから先絵の何を学べるっていうんだ

友達も

絵を描いてた人はいるけど

縋ってた人は多分俺くらいで

みんなそこそこやったら筆を折ってしまった

みんなが飛び立った後の場所で

黙々と作業をするのは辛い

ここからいなくなるのが選択として正しいことで、それに気づいた人から居なくなって、俺だけが何も見えずにここで筆を取っているんじゃないかと思う。

大人として下手な絵を描くなんてばかばかしいのか?

キーボード試し打ち

キーボードを新しいものに変えたので、試しでこの文章を打っています。

カニカルキーボードの赤軸というのだけれど、こんなにうるさいものだとは知らずにちょっと驚いている。

一万円しているので、悪くはないんだろうけど、これ通話中とか会議中に使ったらもしかしたら怒られるかもしれない。

最近はzoomやグーグルミートといったWeb会議アプリもノイキャンが実装されているようだし、問題はないかもしれないが。

社会人になったタイミングからいろいろと購入するものも多く、それらもレビューしたさがあるので、もしかしたらnoteなどをやったほうがいいのかもしれない。

そもそもブログという媒体が時代遅れな気はする。

ただ、こうやって自分と世界のつながりの一切を切り離して発言できる場所というのはとても貴重な気がするので、このまま残しておきたさもある。

noteだとどうしてもtwitterとのつながりが強いイメージがあるので。

あまりにもとりとめのない文章すぎる。

本当はこういう文章を打って生きていきたい。

 

なるほどね。。。

こういう打鍵感なんだね。

悪くないけど手が少し疲れるな。。。。

パンタグラフばっかりつかってたからストロークが長いのに慣れないな。

 

このあと机がとどくIKEAでかったのだけれど、天板と足のいい組み合わせがなく、別々のものを自分でくっつけることにした。

天板は部屋の雰囲気に合わせ、ブラウン強めのオークがよかった。そんなにこだわりがあったわけではないのだけれど、部屋の雰囲気を作るうえで机の面積って広いし大事だと思った。というか部屋に一番大事なのって統一感じゃないだろうか。そういうわけでイドーセンというモデルのブラウンにした。サイズは1400x700x30。横幅1400っていうのは部屋のサイズ的に許容できる最大の幅だった。在宅ワークもあるのでなるべく机は広く使いたいのでここは妥協できない。本当は見た目的にはカールビーというモデルの天板がよかったのだけれど、素材が変わってしまってさすがに重すぎるのと、なにより自分の求めていたサイズがなかったので断念。さすがに切るだけの労力はない。

脚は手動調節可能なもので探した。自分の身長が平均から外れてるのもあって、普通の机を買うとどうにも使いづらい。今はフットレストなどを買って対応しているけれど、使いづらさはごまかしきれない。いっそのこと高さを調整できる机にしようと思いたち、脚の購入を決めた。ただ、電動は高すぎるのと、イドーセンに手動高さ調整できる脚があるのを知らずに(店員も教えてくれればよかったのに)、別モデルの脚を購入。まあイドーセン用の脚はかなりゴツい見た目でダサいのでよかったとも思えるが、逆に脚を変えるにあたっての耐久性が不安になった。しかし、気づいたのは家に帰ってからなのでもう後の祭りだ。

別々の商品を組み合わせるとき、机で最も大事なのは耐久性だと思うが、別になんら計算してないのでこれはうまくいってくれと願うしかない。

購入した脚の本来の天板厚みは34mmで、今回のが30mmなのでたわみ的には厚みの3乗で効いてくるからだいたい1.5倍程度たわむことになる。横幅も3乗にのるけど今回は同じ&厚みは他ほど効かないので無視する。そもそもIKEAの低価格帯の天板は構造ボードという中身が再生紙フレーム&中空でできているようなので、実際はわかりませんが、ワーストケースとして。さすがに3倍とか言われたら考えるけど、まあ1.5なら何とかなるだろう。おそらく。机への荷重で一番きついのが多分モニターアームで、10kg程度の集中荷重が机の真ん中にかかるからだ。

ただ、どちらかというと問題は横方向の揺れで、これはもうどうにもならないかもしれない。地面と水平向きの金属フレームが一切ないので結構揺れるかも。あとは脚の太さと取り付け部の広さを信じるしかない。

揺れが怖いので、脚はちょっと内側に取り付けようかと思っている。

 

また届いたらレビューします。

 

声と手と

とっても丸いキャンバス地の白いボールがただ机にあるような完全さが欲しい。

 

社会不適合性が愛されるのも、その人の才覚の一つで、病み垢にフォロワーがつくのも、すべてすべてカリスマなんだろ。救ってあげたい形をしてるからみんなに憐れまれて、そっと見守られて、それはポルノ的な消費活動かもしれないけど、たしかに愛されてる。結局どこまでいっても人は才能に惹かれてるんだろうな。何もない人間は、その人が救いを求めていようがいなかろうが、誰も目を向けない。その人が死にそうかどうかなんて本当はみんなどうでもよくて、その人から流れてる血の色が美しかったら評価するし、そうじゃなかったら見捨てるだけだ。

そういう意味で、メンヘラがコンテンツ化しているということから見ても、庇護性の違いから見ても、ジェンダーから見ても、男の社会不適合性は愛されない。男の血が緑色だからですね。知ってましたか?

 

揺らいだ白いカーテンから覗く低い街並みと生温い風にはいつになったらたどり着けるんだろう