思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

強化系のススメ

自分の我慢のなさが嫌だ。

耐えなければならない理不尽に対して、すぐに心のコップが一杯になってしまう。世の中は必ずしも理性的で合理的には回っていない。むしろ慣習とか情動とか、不確実なものの割合の方が多いように思える。世の中を生きるだけで理不尽は降り注いでくるので、その許容量が少ないということは、ひとえにワガママと捉えられてもおかしくないだろう。ひとたび溢れた不満は、私の場合、愚痴という形で表出する。先輩に対する愚痴、会社に対する愚痴…また、私は私の内実に対して、本人の前ではつとめて平然を装っているが、恐らく隠しきれていない部分が多くある。

ひとつ思いつくのは、仕事のやり方を教えてもらったとき、過剰になぜを聞いてしまうことだ。これはなぜこのやり方なんですか。なんか無駄な手間がかかってませんか。これってこうした方が合理的だと思うんですけど…私自体はこれを当然の疑問と思って尋ねていたが、周りの意見を聞いて推察するに、どうやらこれは不合理に対して強く不愉快に思う私の性質から噴出した質問であるらしいということがわかってきた。“私の思う最適”を超えたものしか受け付けない性格が、質問をさせているのだ。質問をしている時、私は一種の憤りを感じている。なぜこんなに不甲斐ないのか。何百人というプロフェッショナルが仕事をしているのではないのか。何故それなのに…。非合理に憤慨し、非合理なことをしている人を内心で見下して、態度が露悪的になってしまう。きょうも「また◯◯ですか?」と聞いてしまった。

こういうことをして、私は社会人として正当な手続きを経て人に嫌われているんじゃないかと思う。コミュニケーションができなくて他人をおだてられなくて嫌われる。内心見下してることが外からバレバレで嫌われる。

少し前は忖度ができる人間だと思っていたが、それは厳しいようだ。さようなら僕の社会人生活よ。