思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

描くということ

萌え絵は嫌に記号的で、再現性が非常に高い。

これは何を表すかというと、それぞれの絵柄を構成している要素を、それ一つだけ抜き取って理解できる、さらには差し替え可能ということである。もっといってしまえば、この差し替え作業に達人的な能力は必要ではない。それこそ一線級の絵師となれば優れたバランス感覚の上で成り立ってる絵柄もあろうが、おおよそそこらにありふれている萌え絵にあたってはその差し替えには描いた本人程度の実力があれば十分である。

これは、つまるところ萌え絵を描く能力というものに、被写体の各パーツごとにおいて線を引く絶妙な力加減だとか、絵の具の混ぜ方だとかの慣れからくる職人技術といったものは存在せず、あるのは包括的な「絵に対する慣れ」という概念と、「絵柄を構築している要素への理解」という概念だけである、ということを示す。

ここでいう「絵に対する慣れ」というのは単純に、引きたいところに線が引けるとかそういうものである。これは各パーツごとに依存した能力ではない。

つまり萌え絵は「絵柄を構築している要素への理解」次第で、何とでもなることがわかる。正確には、絵の習熟度に関わらず萌え絵的要素を理解することで上達が可能であるということだ。

…とはいったが、萌え絵の文脈を読み取ることは案外難しい。人には個性があるから、すなわちノイズを考慮して十分な標本を集めなければならないということである。これを機械的に行ったのがディープラーニングによる萌え絵生成アルゴリズムであるが、ぼくらは人間なのでこれを感覚的に行うことになるし、とれる標本の数もたかが知れているだろう。

ぼくがこんなバカみたいなことを描き連ねるのは、この萌え絵の文脈を説明してくれる人間というのがいたら人の絵は100倍早く上手くなるということを伝えたいからだ。

萌え絵が上手くなりたいなら独学はやめよう!ぼくはバカなので独学ですが…