思考の足あと

何を考え、感じていたのか。

思考の停止とインターネットミーム

語る系のやつ。

インターネット・ミームっていうのは、説明が難しいけどバズるとかそういうのに近い。

インターネット・ミームInternet meme)とはインターネットを通じて人から人へと、通常は模倣として拡がっていく行動・コンセプト・メディアのことである[1]。その主な例としては公共の場所で体幹を硬直させて寝ころぶ写真を投稿すること(プランキング)や、ハーレムシェイクという集団で踊るショートビデオのアップロードなどが挙げられる。またこれらのインターネットユーザーによる拡散行動を商業的に利用する手法の一例としてバズマーケティングへの利用などがある。 

インターネット・ミーム - Wikipedia

 

ここ最近で例を挙げるならけものフレンズとか、バーチャルユーチューバーってのもそうですね。多分上にあげる二つは、こんなネットの海底に沈んでるブログを読んでる人ならば聞いたことはあると思うし、むしろ積極的に関わってる人も大勢いるのでは。

このようにネットを介して広がるミームは拡散力が凄まじいです。それゆえに内容が軽視されがちなところがあります。

ネットで少し前に流行った言葉に「意識高い系」というものがあります。最近ではあまり表に出てきませんが、様々なところに浸透して、今やこの言葉を知らない若者はいないといっても過言ではないレベルです。

ではこの言葉の意味はというと、みんなもわかってるだろうけどこちらもWikipediaから引用

意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者[1][2]、前向きすぎて空回りしている若者[3]インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人[4]などを意味する俗称である。

大学生に対して使用されることが多いが[5]ビジネスマン主婦など若者・学生以外の層に対して使用される場合もある[2][6][7]。「意識高い系」の特徴として、自己啓発ボランティア政治)活動や人脈のアピール、あえて流行のカタカナ語を使うなどが挙げられる[1][8][9]。嘲笑の対象として「意識高い系(笑)」と表記されることもある[5]

意識高い系 - Wikipedia

 ということで、自分を大きく見せようとして空回ってる感じの人のことを指します。

こんなことは、意識高い系という言葉とともに一緒に覚えることなので、「意識高い系」という言葉は知ってるが意味は知らないという人は少ないと思います。

しかし、ネットの拡散力によってこの言葉は急速に普及しました。こうやって拡散されるものは大概パターン化されていくんですが、「意識高い系」の場合は「カタカナ語を用いる若者を嘲笑する」という方向にシフトしていったように思えます。そして、この「カタカナ語を用いる若者を嘲笑する」例に曝され続けた人は、いつのまにか条件反射のようにカタカナ語を使ってる人を見ては意識高い系だ!と言うようになるわけです。(本来の意味ももちろん分かっているはずですが)

ここまで来ると、「意識高い系」という言葉の使われ方が変化していることに気が付くはずです。本来の意味から表面だけを抽出して当てはめてしまうが為に、本来の意味ではその枠に入らない人も被害の対象になってしまいます。

この言葉が(変に意味を変えて)流行ってしまったせいで、あえてカタカナ語の使用を自粛してる人もいるくらいです。カタカナ語は日本語で説明すると長ったらしくなってしまうニュアンスをズバッと簡潔に伝えてくれる便利な言葉ですが、このように有用的にカタカナ語を使っている人たちも条件反射のレッテル貼りをされるからです。

 

もう1つ例を挙げます。これはインターネットミームと言っていいのかどうか分からないけれど、お客様と店員の話。

ここ数年、Twitterにて、接客業をやっていると思わしき方による「客はもっと態度良くしろ」、「客は金払ってるからって何でもやっていいわけではない」という論調のツイートをよく見かけます。言わんとしてることはわかるし、きっとそのツイートをした人はよほどの悪客を引いたのでしょう。

ただ、この投稿も盲目的な店員age、客sageの風潮を作ってしまっています。機械的に見れば、店員はもてなす側なのですから、客より下手に出なければならないのは当たり前だと思うし、雇われてる以上は義務ですよね。それをすっ飛ばしてどうのということはできないと思います。(この話はやはり思うところのある人が一定数いるのか、ある程度拡散された(この話題の)ツイートのリプライ欄では、たびたび客目線と店員目線の人による論争が起きています。)

こういう風潮ができあがってしまうと、たとえそれが本来サービスに含まれていても(店員にとって面倒くさいという理由で)迷惑な客だ、などと言われてしまうわけです。

 

少し抽象的なので、以前僕に起こった具体例を挙げます。

僕は結構深夜にコンビニに行くことが多いのですが、ある日コンビニに立ち寄ると、深夜にもかかわらずまだおでんが置いてありました。珍しかったので、せっかくだから買おうと思ったのですが、半分くらいの種類は売り切れているらしく、「これください」から「それはもうありませんね」という会話を3回くらい繰り返しました。この時は丁度、僕のミスで友人との電話をつないだままコンビニに入ってしまったので、僕と店員のやり取りが筒抜けだったそうです。その後店から出て通話を再開すると、通話中の友人3人から総バッシングを食らいました。なんでも「注文を決めてからレジに並べ」とか「そのおでんはどうせ廃棄になるやつを片付けるの面倒だから放置してただけ、注文するな」、「店員は店に誰もいないほうが気楽だから長引かせるな(すぐに出ていけ)」ということを言われました。僕も、別に故意に長引かせたわけでは無く、注文したものが無かったので代わりの注文を何にするか、すこし悩んでしまった程度だと思っていたから、ここまで言われてショックでした。客として、最低限のマナーはできているのに、元からサービスに含まれているものを注文したときでも(多少の問題はあったとはいえ)店員が面倒くさいという観点で文句を言われるのは納得できませんでした。しかし、友人にしてみれば、これは至極普通のことなのでしょう。何故なら、(誰かもわからないようなネットの)みんながそう言っているから。

 

このようにインターネットミームによって広がったモノ(単語に限らず偏見や価値観まで)は本来の意味よりももっと狭く、より過激になっていきます。何故ならば、そのほうが分かりやすく面白く、話題性に富むからです。これはスキャンダルを求める人間の性(また、注目を集めた話題ほど拡散されるSNSの構造)によって引き起こされるものと言い換えることもできるでしょう。

ただ、ここで言っておきたいのは、この件に関して、必ずしも元の発言者が悪いわけでは無いということです。どちらかというと受け取り側の問題かと。

 少し前にはネットリテラシーという言葉が声高に叫ばれていたような気もしますが、このように思考を停止させて、上澄みだけを見て流れに乗ってしまう人が多い現状を見るに、未だにネットリテラシーの普及は間に合ってないのかなと感じます。

確かに、大きな流れというのは自らがその流れに巻き込まれているかどうかもわからなくなることがしばしばあるくらいですから、自身で気づくのは難しいと思います。僕もきっとどこかの偏見に囚われているんじゃないだろうか。

 

当たり前だと思っていたことも、もう一度考え直してみたいですね。